ハイライト
- オリビア・ニュートンジョンさんはオーストラリアの移民コミュニティーにとってアイコン的な存在であった
- 脊髄がんとの長い闘病生活の末、月曜日に死去
- スペインコミュニティーにとって「レジリエンス」の象徴
オーストラリアのフィリピン、及びスペインのコミュニティーは、がんのため73歳で亡くなったオリビア・ニュートンジョンさんについて、「パイオニア」であり、「インスピレーション」であったと故人を偲びました。
夫のジョン・イースターリングさんによると、ニュートンジョンさんは、家族や友人に見守られる中、自宅で息を引き取りました。
イギリス生まれのニュートンジョンさんは、俳優のジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画『グリース』(1978年)のサンディー・オルソン役で世界的スターとなり、アメリカのビルボートチャートでは5曲がNo.1を記録しました。
また昨年秋には日本の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功績が認められ、「旭日小綬章」を受章していました。
彼女の死を受け、国内外のセレブリティーや政治家からは追悼のメッセージが相次いでいます。
SBSスパニッシュのジャーナリスト、マーシャ・デ・ロス・サントスが初めてニュートンジョンさんに出会ったのは11歳の頃。一家がオーストラリアへの移住を1ヵ月後に控えていたときでした。
「学校、友達、家、犬、そして大家族全員と別れなければならなかった」という悲しみに暮れていた状況の中、「オリビアはチャンスの象徴」となり、良い人生が待っているという希望と、「いずれ幸せになれる」という希望を与えてくれたと話します。
「映画だとわかっていましたが、ストーリーがとてもパワフルで、彼女のキャラクターが、私の世代にとって、本当に魅力的だったんです」
サントスは、アルゼンチンで過ごした最後の数週間は、ニュートンジョンさんのキャラクターによって「多くの興奮と希望をもたらしてくれた」と振り返ります。
「1978年のブエノスアイレスの暑い午後に、私の心を喜びと幸福で満たしてくれたことに感謝します」
SBSフィリピンのジャーナリスト、エディネル・マグティベイは、ニュートンジョンさんのこのパフォーマンスについて、「女性として開花した若い女の子」と記憶しています。
「彼女は、80年代に「フィジカル」という曲でみんなをアクティブにするよう励ましました。『ザナドゥ』や『ホープレスリー・ディボーティッド・トゥ・ユー』は多くのフィリピン人ファンのお気に入りのカラオケソングです」
ニュートンジョンさんは1992年に乳がんの診断を受けて以来、30年以上にわたって闘病生活を続けてきましたが、2017年に再発した際にはステージ4と診断。
化学療法、乳房の部分切除、再建を経て寛解に至りました。
30年以上にも渡った闘病生活の中、ニュートンジョンさんは乳がんの啓発活動を行い、メルボルンにがん患者を支援する「オリビア・ニュートン・ジョンがんウェルネス&リサーチセンター(ONJセンター)」を設立したほか、がん治療法の研究に資金提供するオリビア・ニュートン-ジョン財団も設立。
「彼女は素晴らしい歌手であり、多くのフィリピン人ファンにインスピレーションを与えてくれました。彼女は乳がんに対する意識を高めることで知られており、現在、多くの地元のエンターテイナーがオリビアへの賛辞、特に長年にわたって彼女の歌に感動している人々のビデオを掲載しています」とマグティベイは語ります。
SBSスパニッシュのカルロス・コリナもは、ニュートンジョンさんについて、がんと戦う人々に「真のインパクト」を与えたと話します。
「彼女はレジリエンスと忍耐力の素晴らしいお手本であり、新たな可能性への希望をもたらした人物として記憶されるでしょう」
「オリビア・ニュートンジョンは、スペインコミュニティに多大な影響を与えました。コミュニティのアーティストも彼女をパイオニアやインスピレーションとみなしてきました」
9日火曜日、メルボルン・クリケット・グラウンドやフリンダース・ストリート駅などのランドマークが、ニュートンジョンさんを偲び、ピンク色にライトアップされました。
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