プロのサッカー選手になることは、一部の先住民族の選手にとってはそれほど難しいことではないはずです。しかしオーストラリアサッカー連盟(FFA)がこの度、特に遠隔地に住む選手らを十分に支援してこなかったことを認めました。
ウィラジュリ族とヨルタ・ヨルタ族の女性、ジャダ・ワイマンさんは、ゴールキーパーとしてのキャリアを実現するためには、家族全員の協力が必要であったと語ります。
ハイライト
- 先住民サッカー選手のジャダ・ワイマンさんが今季WリーグのシドニーFCと契約
- トップレベルに到達するため、テント生活も経験
- 目指すはオーストラリア代表のマチルダ、そして東京五輪
当時13歳であったジャダさんは、ゴールキーパーのアカデミーに通うため、ニューサウスウェールズ州内陸都市ワガワガから、親戚が暮らすキャンベラへ、母親、継父、そして3人の兄弟を連れて転居しました。
しばらくはうまくいっていたものの、あまりの過密状態が続いたため、家族は2ヶ月以上もテント生活を送ることになります。
「とても厳しい時期でした」と21歳になったジャダさんが、SBSニュースに語りました。
「何よりもうれしかったのは、そのような時期でも家族が諦めなかったことです。キャンプをしていると想像して、釣りに行って気を紛らわせたりもしました」

Jada Whyman makes a save for the Western Sydney Wanderers at Seymour Shaw on February 4, 2018 in Sydney, Australia. Source: Getty Images AsiaPac
「今振り返ってみると、あの大変な時期でも、土地との強いつながりを持つことができました。それが私を強くしてくれたと思いますし、なんの後悔もありません」と彼女は言います。
ジャダさんの苦労は、FFAと共鳴しています。
オーストラリア女子サッカー代表、元マチルダで、FFAの試合開発責任者であるサラ・ウォルシュ氏は、先住民族の選手をサポートするためには、より多くのことを行う必要があると述べています。
「ジャダ・ワイマンは私が観戦する大好きな選手の一人で、他にもキア・サイモンやリディア・ウィリアムズなどリストは続きますが、私たちはより多くの先住民族の選手がトップに立つべきだと信じています」
しかしジャダさんのキャンベラでの苦難なチャプターの始まりは、彼女のキャリアを妨げるものではありませんでした。彼女は12月下旬に開幕するWリーグシーズンに向けてシドニーFCに加入したばかりで、来年の東京オリンピックに向けてマチルダのチームに入ることを目標にしています。
その先に目指すのは、2023年にオーストラリアとニュージーランドで共催される女子ワールドカップです。
長期的な膝の怪我に悩まされてきたジャダさんは、今年手術を受けました。彼女はこの間トレーニングから離れ、ワガワガに戻り、家族や友人との再会を楽しみました。
「サッカーは私の大きな、大きな部分を占めていますが、それがすべてではありません」と強調します。
またジャダさんはFFAと提携し、若い先住民族のスポーツ選手を支援する組織、ジョン・モリアーティ・フットボールのアンバサダーとしても活動しています。
NAIDOCウィークに加え、ジョン・モリアーティ・フットボールにとっては、「先住民フットボール・ウィーク」でもあります。今年のテーマは選手の道筋をつくることを意味する「パスウェイ」。
「この子たちは12歳という若さで、人として、そしてサッカー選手として成長するために、正しい方向に一歩を踏み出しています」とジャダさんは言います。
またジャダさんは、グリーブ・ユース・サービスのボランティア・ユースワーカーでもあるほか、オーストラリアの遠隔地に住む若い先住民族の人々を支援する、メンタルヘルスの非営利団体、ヘッドスペースのアウトリーチ・カウンセラーでもあり、ユースワークの資格取得に向けても勉強中だといいます。
彼女はこれら、サッカー以外の努力は、とても価値があるものだと語ります。
「私の一日を、そして私の心を少しずつ満たしていくものです」
「子どもたちがこのような活動を見て、自分の人生に向けてもっと頑張ろうという気持ちになってくれることを願っています」
ナショナルNAIDOCウィーク(2020年11月8日~15日)では、アボリジニとトレス海峡諸島の人々の歴史、文化、功績を称えています。
#NAIDOC2020 #AlwaysWasAlwaysWillBe