タスマニアを拠点に活動するアーティスト、ケイ・グリーンさんは、50年前に署名された日豪友好協力基本条約(NARA条約)のことを今でも鮮明に覚えています。条約が結ばれる4年前、グリーンさんは留学生として1年間、日本で暮らしていました。
今から50年前の1976年6月16日、日本とオーストラリアは歴史的な条約を締結しました。
その名は、日豪友好協力基本条約、通称「NARA条約」です。
この条約は、経済、文化、教育など幅広い分野で相互理解と協力を深めることを目的としたもので、両国にとって初めての包括的な友好条約となりました。
当時のオーストラリアは、社会の大きな転換期を迎えていました。
わずか3年前の1973年には、白人を優先する移民政策として知られた「白豪主義」が正式に撤廃され、多文化主義へと舵を切ったばかりでした。
この歴史的な転換を主導したのが、1972年から1975年まで首相を務めたゴフ・ウィトラム氏です。ウィトラム氏は、日豪友好協力基本条約を提案した人物でもありました。

その後、1976年に東京で、オーストラリアのマルコム・フレーザー首相と日本の三木武夫首相によって条約が署名されました。
タスマニアを拠点に活動するアーティスト、ケイ・グリーンさんは、当時の条約締結を今でも鮮明に覚えています。
ラジオで聞きました。オーストラリアと日本の友好関係を確認する条約が結ばれたと知り、とても関心を持ちました。日本から帰国して間もない頃で、日本での経験を通じて私の物の見方や考え方は大きく変わっていました。でも、その気持ちを分かち合える人はほとんどいないように感じていたんです。Kaye Green
グリーンさんが日本へ留学したのは1972年。1年間にわたる滞在を通じて異文化に触れたことで、「互いを理解し、つながることが平和につながる」という思いを強くするようになったといいます。

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